―北方からの歴史考―アムール下流域奴児(ヌル)干(ガン)都司(とし)と永寧寺碑と先住民族たち-電子書籍版-

―北方からの歴史考―
アムール下流域奴児(ヌル)干(ガン)都司(とし)と永寧寺碑と先住民族たち

-電子書籍版-

 日本の歴史書は一般に中国や朝鮮半島からの方面から歴史文化が伝播している考察した著書が多い。しかし近年は「日本人は何処からやって来のだろうか」という問に、日本人のDNAを精査すれば、どうやらモンゴロイド人種のバイカル湖周辺のブリヤード人が、我々日本人の血液型が一番多くあてはまる結論がでている。
 筆者は前々から「北からの古代史」考察したいと考えを持っていた。北らの文化や歴史の著書を探してみると、「北からの古代史文化」を研究している方々が多くおられることが分った。それは歴史学より、民族学と歴史学を合わせた研究が多く見られ、いろいろと興味深い事が解ってきた。
 そこで、論文論考の中だけでなく、自ら足でサハリンや沿海州を歩いて先住民族を踏査してみると、なんと日本人の顔に似たモンゴロイド人種が多いことに気がつく。サハリン中部・北部やアムール川下流域の先住民族地域を歩くと、正にこの地域の人々は、モンゴロイド人種の大通りであることに気がつく。あらためて対面すれば、日本の近所のおじさん、おばさんにそっくりな顔であり、唯々驚ろくばかりである。
 世界の文明の発展の歴史は、農業による経済活動の発展が進み、それが人口を爆発的に増えた歴史を辿っているのである。その先祖を辿ればアムール下流域・サハリン・カムチャッカ・千島列島に居たモンゴロイドたちは、およそ4万余年前から居住し、最近の17世紀頃まで、農業生産圏でなく漁業か遊牧での種族単位による住み分け、漁食圏と肉食圏に別れて生活の歴史を刻んできた。トナカイによる遊牧民生活と、アムール下流域の漁業生活とに別れ、今日まで生活様式を変えず今日に至っている。因って、財力の経済発展は見られず、民族単位の強国の成立もなく、極東アジア地方は人口も増えず、独自の強勢国家の形成はみられなかった。ごく最近の17〜19世紀に至り、農業を基盤にして経済力を持った元朝・明朝・帝政ロシア・清朝がこの地方に出進し、彼らの居住区から獲れる獣皮を求めて入り込む近代史となっている。元明の王朝時代を境に、世界先進国が「帝国主義国家」を目指す時代が到来し、先住民の居住地は、帝国主義国家の人々の入植地となり、諸民族たちは搾取される時代の歴史を刻んでいる。その列強国がアムール川下流域・サハリン島・千島列島の侵攻した時代の歴史文化を考察してみたい。その歴史文化を尋ねる物語として、図絵や写真を多くして楽しめるようにした。
   
池田 勝宣
 
 
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はじめに
第1章・奴児(ヌル)干(ガン)都司(とし)と永寧寺碑記の成立ち
第2章・ヌルガン永寧寺址の発見と研究史の流れ
第3章・永寧寺址から発掘遺物が出土した煉瓦類
第4章・ヌルガンの地理
第5章・奴児干周辺の先住民族たち
第6章・山丹交易 
第7章・間宮林蔵の『東韃地方紀行』概観
第8章・サハリン島占領問題考
第9章・アムール川下流紀行・ハバロフスク→ティル
むすびにかえて
―A4横40字×行30=115枚―