―電子書籍―縄文人の「あの世」と「この世」

縄文人の「あの世」と「この世」
-電子書籍版-

 日本文化の古層に縄文時代に培われた信仰文化が、現代の日本文化の中に粛々と伝わっている文化がある。また、縄文時代の遺物は、日本列島から出土する縄文土器、装飾土器、文様土器、道具類、丸木舟や漁の道具、驚かされる奇異な人形(ひとがた)土偶や、写実的な動物像群、身に着ける装飾品等々が多く発見されている。そして、精神文化として発掘された遺構は、祭祀・送りの儀礼の場に使われたと考えられるストンサークル、ウッドサークル等々の遺構が現れている。想像されることは先祖霊への儀礼と推測されるが、現代の我々は、その遺構について正確な答えを出しきれていない。
 縄文時代の農耕開始年代についても、縄文前期・中期・後期に稲作は始まっていたのか、この問に歴然した農耕論に至っていないが、稲作は陸稲(りくとう)説に続き、大豆、小豆、アワ、ヒエ、イモ、ヒヨウタン、エゴマ等は、農作研究論文がその存在を激しく迫っている。そして、東北地方はクリやクルミの植林生産していた事も分かってきた。
縄文時代は、約1万5000年〜前2300年の間に、作物の栽培が始まっていた論説は、今は正論となっている。その作物生産の量に於いては、家庭菜園のような規模から、ある程度の生産量を考慮すれば、海岸地帯から乾燥魚貝類・塩と、山側からの黒曜石や、マメ類・クリ・クルミ等の交換交易は存在していたことは確かである。海側と山側の生産物による広範囲の経済活動は、丸木舟や貝塚の堆積物で、その推測はできる。
ヒスイ玉は日本列島を網羅し、ヒスイは新潟糸魚川産、装飾腕輪のベンケイ貝は、奄美大島周辺の海から北海道礼文島まで届いている。現代人も驚くのは、丸木舟で危険を顧(かえり)みず、伊豆諸島の神津島まで黒曜石を採石に出掛けていることである。
縄文人たちは、日本列島の広範囲による交易行動は、縄文語(やまとことば)を駆使して、列島の辻浦浦までの交易を展開をしている。それ等の理解することは、土器文様が全国的に伝わり、その仕草(しぐさ)が拡散していることで判断できるのである。
そして、先祖神への儀礼・祭祀に関連して「縄文酒」が造られていたことが分かりはじめ、現代人の我々が想像する以上に、縄文生活文化が繁栄していたのである。縄文時代の文化を考察すれば、縄文人は何処から来たのか、縄文人のDNAに一番近いのがアイヌ人、次に琉球人、その次に本土人となっていることが判明している。
信仰に於いては、縄文人は先祖霊神を崇拝し、その思想が宗教までに高まり、その先祖神信仰はどの様な世界を創りだしていたのか、先達の考古学者、人類学、民俗学者等々の研究論文を参照しながら考察したく思っている。
そして、時代は下がり、日本列島民は先祖崇拝の信仰を持ちながら、仏教伝来はどの様なカタチで、仏教を受け入れることができたのか、この辺の処を日本の歴史は曖昧にしている。釈迦仏教の本質は、自己の完成を目指すものであるが、何故か、日本本土に定着した仏教は、大方として葬式仏教となっているのは何故か。インド仏教の教えと異なった日本独特の仏教となり得たのは何故か、それは恐らく「お盆の行事」を探求すれば、縄文の信仰文化が見えて来るのではないかと思っている。
縄文人の生活思想を理解するには、「あの世」と「この世」を辿って行けば、縄文人から現代の我々の生活へ伝わる文化の一旦が見えて来るのではないか、この点を考察したい。縄文文化は琉球文化に繋がりその文化が残っているとされるで、沖縄県久高島のイザイホーから、「神女就任儀式」を考察し、琉球文化とアイヌ文化を対比しながら進めて行きたい。ネットでイザイホーの記録映像を見た時、神女たちの両手合わせて先祖神に祈る姿を見た時、その「しぐさ」は、我々の現代人の生活でごはんをいただく時、「いただきます」、「ごちそうさまでした」と、手を合わせる仕草(しぐさ)は、あれは縄文時代からの精神性ではないか、仏教の合掌の形ではなく縄文時代の仕草である。この点をも考慮入れて、できるかぎり、色々な処に立寄って考察をしたく思っている。
   
池田 勝宣
 
 
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はじめに
第1章 縄文人は何処から来たのか
第2章 古モンゴロイドと云われるアイヌ民族を考察
第3章 日本人の「あの世」観の歴史的な流れ 
第4章 琉球弧の古層の神々 
第5章 八重山・先島諸島の来訪神による奇祭
第6章 琉球列島の化石人骨 
第7章 縄文時代に縄文酒は存在したのか   
第8章 現代甦る縄文文化を考える 
おわりにかえて
付録  沖縄の針突習俗・アイヌの入れ墨
―※A4、40字×35行、計148枚―