―電子書籍―中南米で事業を興して成功し ペルーリマに天野博物館を開設した男

中南米で事業を興して成功し ペルーリマに天野博物館を開設した男
-電子書籍版-

筆者は初めて外国旅行に出掛けたのは1988年、南米ペルー行が初の旅であった。この旅行は団体ではなく、2組夫婦の個人旅行で、現地ガイドが受けてくれる旅行であった。少し不安があったが、インカの秘跡を見学したい一心で出掛けた。
当時、日本国内ではインカ帝国秘宝展が開催されていたが、見学していなかったので新聞記事を読み、心躍らせる旅となった。
ペルー到着後、リマに一泊し、翌朝1時間のフライトでクスコ到着して、街は一気に標高3400m、息苦しい感もあるが、街を散歩した時、広場でサッカーをやっている若者たちを見て、こちらの人間の肺活量の大きさには驚かされた。そして、サクサワマン遺跡、マチュピチュ遺跡、チチカカ湖湖上民たちの生活見聞、ナスカ地上絵等の見学をして、頭が混乱する程文化ショックを受けた。
「天野芳太郎博物館」の見学で、天野芳太郎氏(故)の美代子夫人のお出迎えを受け、夫人から「天野は生前から、ペルーの大切な文化遺産で利益を挙げたくない。入館料はいただきません」との話をされた。地球の裏側ペルー国リマで、博物館を自ら開設して、無料で入館下さい、との話をどう捉えればよいのか、考えてしまった。
ペルーの情報を全く知らず、只々、ガイドの説明を真剣に耳を傾け、博物館の創設者、天野芳太郎氏の話を聞いた。地球の裏側にこんな凄い日本人が居た事に、鳥肌が立った。氏は秋田県男鹿の出身で、戦前、中南米へ事業展開を目的に渡航し、雑貨商、農場や鮪漁業等を経営等に、大成功を収めた立志伝中の人物であった。戦後は、魚粉製造事業等に成功を収めていたが、一転し、リマ市内に天野博物館を開設に至る。
帰国してから、天野氏の波乱の実業経歴を調べ、実業家の第一の条件として、アクセルとブレーキの使い方、人生の歩み方の上手さに感服した。筆者も当時、建築石材業を経営していたので、天野氏の天才実業家人生に私は惚れ込んだのである。今書は、大活躍する天野氏を野次馬的であるが、人物像に迫ってみたいと思う。
現実的な話として、「天野博物館」見学で、プレインカ、インカ時代の土器や織物の素晴らしさ感動の連続であった。その中で一番驚いたのは、3o内外のペルー産トルコ石に、髪の毛や釣り糸を通す孔(あな)開けて、首飾りやネックレス(3章P81参照)の加工していたのには、只々驚きであった。ダイヤモンドや電動工具の無い時代、釣り糸を通す孔を開ける加工技術は、現代科学技術をもってしても驚きである。

   
池田 勝宣
 
 
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はじめに
第1章 アンデスへの夢とロマンに生きた天野芳太郎氏を追う
第2章 戦前戦後の天野芳太郎氏の随筆の世界に分け入る
第3章 戦後の天野芳太郎氏の活躍をみる 
おわりに