義経不死伝説の声を聞く

“ジンギスカン即源義経説”流布の顛末 -電子書籍版-

仏教伝来の道“ジンギスカン即源義経説”流布の顛末 -電子書籍版-

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明治黎明期、日本国を取り巻く欧米の圧力は、やがて維新政府の蘭語から英語へと国際語が移りかわる時代局面を向える。そして蘭学から英学への変遷過程で、副産物として生まれたのが“ジンギスカン即源義経説”である。明治9年10月から11年11月まで、浦潮斯徳貿易事務次官・瀬脇壽人(手塚律蔵)が記した日記『浦潮港日記』を、イギリス公使在勤を命じられた富田鉄之助が、この日記を取寄せ、先にロンドン在留の末松謙澄に手渡した。末松は倫敦に於いて、『成吉思汗は源義経』の題名で歴史論文として英文発刊した。この論文が明治18年に内田弥八訳述の『義経再興記』となり、大ヒットに繋がる。英国公使館一等書記官富田鉄之助の結婚相手は蘭学の杉田玄白の曽孫、縫いであり、晩酌人は啓蒙家の福澤諭吉である。瀬脇壽人と福澤諭吉の関係は幕府の蕃書調所僚友関係、末松謙澄と福澤の関係は外務省を通じた慶応義塾人脈の関係、『義経再興記』訳述者内田弥八は福澤との関係が、故郷徳島県井川村に福澤が弥八に贈った弔慰文が石碑に残されている。この義経伝説に関わる『浦潮港日記』の原文が昭和18年『義経入夷渡満説書誌』岩崎克己著に残されていた。
   
池田 勝宣
 
 
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第1章・「成吉思汗即源義経伝説」の経緯の源を探る

『義経入夷渡満説書誌』 著者・岩崎克己の履歴 
『浦潮港日記』著者・瀬脇壽人の履歴を見てゆく
瀬脇壽人の『烏刺細ワ斯杜屈見聞雑誌』・加藤九祚編の『浦潮物語』(1)紀行文
『義経入夷渡満説書誌』より「浦潮港日記」全文を読む
第2章・伴信友の『中外経緯傳』の原文を読む 
第3章・間宮林蔵と松浦武四郎の北蝦夷(樺太)紀行考
源義経の記述部分を『窮髪紀譚』から
『柳あん雑記』の著書は栗原柳あんでなく手塚好盛(律蔵)ではないか
武四郎の蝦夷地での義経伝説の記述考を考察
第4章・瀬脇壽人の「浦潮港日記」以後に書かれた書誌を見る
「沿海州南部烏蘇利蘇城郡紀行」鈴木大亮著は
『西伯利地誌』・『西比利東偏紀要』等
第5章・福澤諭吉と瀬脇壽人・富田鉄之助・末松謙澄・内田弥八の関係
第6章・『義経再興記』を考察する 
第7章・小谷部全一郎著『成吉思汗ハ源義経也』を考察する
第8章・新聞記事(読売新聞・満州日日新聞)を拝見
第9章・明治維新、明治、大正時代の国際外交を見る
附録・ウラジオストク・ウスリースク・ハバロスク紀行

《全文章量はA4・横40字×行30=133枚 (附録15枚)計148枚となります》